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アンジェルマンハウス福岡を開設するにあたって
私が母親として、障がいのある子どもを育てるにあたっては、健常児の子育てとはまた別の種類の苦労がありました。
中でも、「人に任せること」は特別困難に感じてきたように思います。
アンジェルマン症候群の娘は、成人になろうかという現在でも、3歳程度の知的レベルで、歩行困難、激しい内反足、斜視などまだ病名もついていない頃から、地域の集団検診で指摘を受け続けました。
その度に、胸を引き裂かれる思いで病院を巡りました。
当時の私は、ちゃんと産んであげられなかったという罪悪感で一杯でした。
不具合はどんどん増えて、育てていくには周囲の人の手を借りなければ生活に支障が出るようになりました。
昼過ぎに娘が療育施設や学校から帰宅すると、目が離せず、家事も外出もできないので、放課後デイサービスにお世話になりました。
ひどい睡眠障害を抱えた娘は、一晩中寝ないこともよくあったので、移動支援で数時間散歩に連れ出してもらっている間、貴重な仮眠をとりました。
また、自分が病気になった時には、夫のいない間は両親に来てもらうしかありませんでした。
これは、私の性格に寄るものかもしれませんが、母親になっても、自分の子供のことでこんなに人様や両親にまで頼らなければならないことが、半人前のような気がして都度落ち込んでいました。
娘が成長するに従って、私の中での障がいに対する葛藤も落ち着き、周囲の助けを感謝とともに受け入れられるようになりましたが、「人に任せる」ということは、障がいを持つ子どもの親にとって、罪悪感を伴う大きなストレスになり得ると思います。
また、「任せる」ことが試練になるもう一つの理由は、預けた先のことが不明瞭であるということが大きいと思います。
任せると、自分の目から離れた我が子が何をしているのか、何をされているのか全くわからない。
特にアンジェルマン症候群の子どもたちには発語がないので、帰宅した時にその体に見つけた小さな傷に、恐ろしいほどの妄想を膨らませ、気が狂うほど悩ませられるのです。
そんな試練の最終で最大のものが、自分たち親がいなくなった後の子どもの行く末です。終の住処を決めて、今度こそ完全に誰かの手に委ねなければなりません。
私たちは娘の将来を考えるとき、ここから目を背けることはできないのだと至り、娘や同じ症状の人たちが笑顔で生きていける場所、親が安心して大切な宝物を任せられる場所をつくりたいと思うようになりました。
それが、このグループホーム、「アンジェルマンハウス福岡」をつくる原動力となりました。
夫はまずクリニックを開業し、地域貢献に努めるとともに、グループホームを医療から支えられるよう整えました。
子どもたちが元気で笑顔で長生きしてもらうために、障がい児のための栄養療法を取り入れました。
また、専門家から常にそれぞれの子どもたちの体の使い方の指導を受けてお世話にあたることができるようにリハビリテーション部を設置し、合わせて、普段から医療の目が届くように訪問看護部をつくりました。
そうして、8年目にしてようやくアンジェルマンハウスを実現することができました。
「さあ、楽しい人生を!」というモットーは、アンジェルマンの子どもたちが、人の目に明らかな社会貢献ができなくとも、この世の中に残せるものがあるという信念から考えました。
彼らは、人間としての機能でいえば決して完璧ではないのかもしれませんが、その笑顔は人を動かすことのできる卓越した才能であると思います。娘の深い瞳を見ていると、はるか昔に落としてしまった大切な何かに気がついて恥ずかしくなることがあります。
純粋で争いを好まず、人の優しい部分が大好きな子どもたちには、私にはない答えを持っているのだろうと思います。
このグループホームの企業理念は、アンジェルマンの子どもたちの笑顔を守ることです。
その人生の一つでも、一つでも多くの笑顔を残してもらいたい。その思いでこのグループホームを運営していくつもりです。
たとえ立派に成人していたとしても、私どもにとっては一人一人がかわいい子どもであると考えずにはいられません。
すでに入所が決まっている方も、まだ見ぬこれからご縁を繋ぐ方も、どうか健康で長生きをして、生まれてきたこの世界が優しいものであることを知って下さい。
また、スタッフとしてこのグループホームに関わることになる方も、どうかアンジェルマンの美しい世界に触れてください。
きっと、皆さんも私と同様に、温かい何かを彼らから受け取ることになると思います。
医療法人花乃羅会
副理事長 藤本 志乃
© 医療法人花乃羅会 ふじもとクリニック